【添育理論Vol.9・哲学編4】「伝わらない」が科学的真実。コントロール不全を受け入れる「オートポイエーシス」

添育(そういく/Soiku)

 

「添育(そういく)」を支える25の理論を巡る旅。

【哲学編】も、いよいよ佳境です。

 

これまでの哲学編で、私たちは「支配しない(アドラー)」「寄り添う(ケア)」「信じる(PCA)」ことを学んできました。

【添育理論Vol.6・哲学編1】「あなたのため」は誰のため? 支配を手放し、感謝で繋がる「アドラー心理学」
前回まで、全5回にわたって添育の「核心編(仕組み・土壌づくり)」をお届けしました。これだけの環境が整えば、子どもたちは自律へと向かい始めます。しかし、ここで指導者である私たちの中に、ある「迷い」が生じます。「子どもに任せるって、見捨てること...
【添育理論Vol.7・哲学編2】正義よりも「応答」せよ。論理を超えた繋がりの力「ケアの倫理」
前回は、アドラー心理学の「課題の分離」を用いて、他者の課題に土足で踏み込まない(支配しない)ためのマインドセットをお話ししました。しかし、線を引くことばかり意識すると、現場ではこんな葛藤が生まれます。「ルールはルールだからダメ」と突き放すの...
【添育理論Vol.8・哲学編3】教えるな、促進せよ。人は誰でも成長できると信じ抜く「人間中心アプローチ」
「添育(そういく)」を支える25の理論を巡る旅。【哲学編】も中盤に差し掛かりました。突然ですが、みなさんは子どものことを、心のどこかでこう見ていませんか? 「中身が空っぽの容器」・空っぽだから、私たち大人が知識や道徳を注ぎ込まなければならな...

 

しかし、現場の私たちは、それでもやっぱり悩みます。

 

「なぜ、何度言っても伝わらないんだろう?」

「なぜ、あの子は変わらないんだろう?」

 

それは心のどこかで、

「正しい入力をすれば、正しい出力(結果)が出るはずだ」と信じているからです。

 

今回ご紹介する理論は、その期待を科学的に「粉砕」します。

 

生物学者マトゥラーナとヴァレラが提唱した、20世紀最大の奇書とも呼ばれるシステム理論、

「オートポイエーシス(自己創出)論」です。

 

その結論は衝撃的です。

 

「他者を外からコントロールすることは、原理的に不可能である」

 

人間は「パソコン」ではない

 

私たちは無意識に、子どもをパソコンのような「機械」だと思っています。

 

キーボードで「勉強しなさい」と入力(Input)すれば、

「勉強する」という実行結果(Output)が出ると期待します。

 

しかし、オートポイエーシス論では、生命を「閉鎖系(閉じたシステム)」と定義します。

 

  • 機械(開放系):外部から情報を直接入力できる。設計通りに動く。

 

  • 生命(閉鎖系):外部からの入力は受け付けない。自分の内部構造だけで動いている。

 

私たちの脳や心には、USBポートもキーボードもついていません。

 

先生や親の言葉が、そのまま子どもの脳にインストールされることは、

生物学的にあり得ないのです。

 

「石ころ」と「犬」の違い

 

では、私たちが「教育」だと思ってやっていることは何なのでしょうか?

 

わかりやすい例え話があります。

 

  • 石ころ(機械的システム):

蹴れば、物理法則に従って予測通りに飛んでいきます。入力=出力です。

 

  • 犬(生命システム):

では、犬を蹴ったらどうなるでしょうか?

キャンと逃げるか、ガブッと噛み付くか、あるいは尻尾を振るか。

どう反応するかは、蹴った強さではなく、「その時の犬の内部状態」が決めるのです。

 

人間も同じです。

 

「勉強しなさい!」という言葉を、子どもがどう処理するか。

「愛のムチ」と受け取るか、「うるさい雑音」と受け取るか。

 

その決定権の100%は、受け手(子ども)のシステム内部にあり、

送信者(あなた)には1ミリも決定権がないのです。

 

私たちにできるのは「有益なノイズ」になることだけ

 

「えっ、じゃあ外から何もできないの? 教育は無意味なの?」

 

そうではありません。

 

コントロール(入力)はできませんが、「攪乱(かくらん)」することはできます。

専門用語で「摂動(せつどう/perturbation)」と言います。

 

壁をドンと叩けば、部屋の中の人は「おっ、何か音がしたぞ」と反応しますよね。

 

同じように、私たちが子どもに関わることは、

彼らの閉じたシステムの外壁を「トントン」と叩き、

「おや?」と思わせる刺激(ノイズ)を与えることに過ぎません。

 

  • × 指導(Input):

「これを覚えなさい」(無理やりデータを書き込もうとする ⇒ エラー・拒絶)

 

  • 〇 添育(Perturbation):

「こんな面白い世界があるよ」「私はこう思うよ」(刺激を与える)

 

⇒ その刺激を受けて、子どもが「自ら変わろう」とシステムを作動させるのを待つ。

 

Vol.8の「人間中心アプローチ」で言った「教えるな、促進せよ」は、

システム論的に言えば「入力するな、摂動を与えよ」ということになります。

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すれ違いながら、共に踊る(構造的カップリング)

 

オートポイエーシス論には、もう一つ「構造的カップリング」という希望の概念があります。

 

お互いに「閉じた世界」に生きている私たちですが、

長い間一緒にいて、お互いに「トントン(刺激)」し合っていると、

次第に「あうんの呼吸」が生まれてきます。

 

それは、情報をやり取りして理解し合ったのではなく、

お互いのシステムが「相手の刺激に合わせて、自分を微調整し続けた結果」です。

 

これを、マトゥラーナは「愛」と呼びました。

 

完全に理解し合うことはできない。思い通りにもできない。

それでも、隣にいて刺激を与え合い、すれ違いながらもダンスを踊り続けること。

 

添育が「待つこと」や「環境づくり」を重視するのは、

この「構造的カップリング(信頼関係の成熟)」には、どうしても時間がかかるからです。

 

即効性のあるコントロール(暴力や恐怖)は、このカップリングを破壊します。

 

まとめ:「伝わらない」からこそ、敬意が生まれる

 

「言えば伝わる」

「教えれば育つ」

 

そんな傲慢な幻想を捨てましょう。

 

「伝わらなくて当たり前」

「思い通りにならなくて当たり前」

 

そう諦めた(明らめた)瞬間、イライラは消え、

目の前の子どもの「閉じた世界」への敬意が生まれます。

 

「私の言葉は、この子の中でどう翻訳されたのかな?」

「次はどうやって『トントン』してみようかな?」

 

そうやって、通じ合えない他者と、粘り強く関わり続けること。

 

それこそが、添育という営みの本質なのです。

 


 

次回、【哲学編】の最終回(Vol.10)。

 

「相手のことはわからない」と知った私たちが、

それでも相手を理解しようとする時に必要な「心の構え」。

 

自分の色眼鏡を外す哲学、「エポケー(判断停止)」について解説します。

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