「添育(そういく)」を支える25の理論を巡る旅。
今回から、いよいよ【組織コミュニティ編(場づくり)】に突入します!
【学習メカニズム編】では、マインドセットや経験学習など「個人の頭や心の中で何が起きているか」にフォーカスしてきました。
しかし、人は無菌室で一人で育つわけではありません。
家族、学校のクラス、部活動、そして職場。
私たちは常に「何らかの集団(コミュニティ)」の中に属し、他者との関わりの中で成長していきます。
これからは「個人の成長を、集団の力にどう広げていくか」という、環境や場づくりの理論に迫ります。
その記念すべき第1回目(通算Vol.21)は、文化人類学者のジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーが提唱した、コミュニティ学習の金字塔。
「正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation:通称LPP)」について解説します。
学びとは「知識を頭に入れること」ではない?
私たちが「学習」と聞いて真っ先にイメージするのは、先生が黒板の前に立ち、生徒が座ってノートを取る姿ではないでしょうか。
これは「知識」という目に見えないボールを、先生の頭の中から生徒の頭の中へパスするようなイメージです(獲得メタファーと呼ばれます)。
しかし、レイヴとウェンガーは、現実社会の生きた学びを観察し、全く違う結論を出しました。
彼らは、アフリカの仕立て屋や、アメリカの海軍の操舵手、アルコール依存症の立ち直り支援グループなどを研究し、こう定義したのです。
「学びとは、知識の獲得ではなく、『共同体(コミュニティ)へ参加していくプロセス』そのものである」
これが、教育界にパラダイムシフトを起こした「正統的周辺参加(LPP)」の核心です。
ちょっと漢字ばかりで難しそうに見えますが、言葉を分解すると非常にシンプルで温かい理論です。
- 正統的(Legitimate): 偽物やお客様扱いではなく、本物のコミュニティの「正当な一員」として認められていること。
- 周辺(Peripheral): 中心(責任が重く難しい仕事)ではなく、周辺(失敗しても大丈夫な、簡単な仕事)にいること。
- 参加(Participation): 見ているだけではなく、実際に活動に関わること。
つまり、「最初は端っこ(周辺)の簡単なことからでいいから、本物の仲間(正統的)として一緒にやろうよ(参加)」ということです。
伝統的な「職人の世界」に学ぶLPP
一番わかりやすい例が、伝統的なお寿司屋さんや大工さんなどの「職人の徒弟制度(見習い)」です。
お寿司屋さんの見習いは、入ったその日に「よし、お客さんにマグロを握ってみろ」とは絶対に言われません(これはVol.16で言うパニック領域です)。
最初は、床の掃除、皿洗い、先輩のお茶汲みといった「周辺的」な仕事から始まります。
これらは一見「お寿司を握る(中心的な仕事)」とは無関係の雑用に見えます。
しかし、見習いは皿洗いをしながら、店の中の活気、大将の包丁さばき、お客さんとの粋な会話、先輩たちが使う専門用語を、シャワーのように浴びています。
そして、ただの雑用ではなく、その皿洗いがなければお店は回らないという「正統的(本物)」な役割を担っています。
だからこそ「自分はこの店の立派な一員なんだ」という所属感が生まれます。
皿洗いに慣れてきたら、次は魚のウロコ取り、次は卵焼き、と、少しずつ「中心」に向かって役割がシフトしていきます。
そして数年後には、大将と同じようにカウンターの真ん中に立ち、後輩に背中を見せる存在(古参者)になるのです。
この「見習い(新参者)が、周辺から徐々に中心へと移動していくグラデーション」こそが、最高に効果的な学習プロセスなのです。
家庭や学校に潜む「偽物の参加」の罠
このLPPの視点を持つと、私たちが普段、家庭や教室で子どもに何をしてしまっているかが見えてきます。
例えば、親が夕食を作っている時。
「危ないからあっちでYouTubeでも見てて!」とキッチンから追い出すのは、「参加の拒否(排除)」です。
これでは、子どもはいつまで経っても料理という共同体のメンバーになれません。
では、「子ども用の安全なおもちゃの包丁と、おもちゃの野菜」で横で遊ばせておくのはどうでしょうか?
これは一見参加しているようですが、LPPの視点では「非・正統的(偽物)」です。
子どもは賢いので、「自分が切っているこのおもちゃは、今日の夕食には出ない(家族の役には立たない)」とすぐに見抜きます。
これは「お客様扱い」であり、真の所属感は育ちません。
LPPを家庭の料理で実践するなら、こうです。
「本物の夕食に使うレタスを、手でちぎってサラダボウルに入れる係」を任せるのです。
刃物や火を使わないので安全(周辺的)ですが、そのレタスは確実に今日の家族の胃袋に入り、
「美味しいね、助かったよ」と感謝される(正統的な参加)。
これこそが、「居場所(所属感)」と「出番(役割)」を与え、子どもをコミュニティの主役へと育てていく添育のアプローチです。
「教えてもらう」から「見て盗む」、そして「支え合う」へ
LPPの素晴らしいところは、「教える側(先生・親)」の負担を劇的に減らしてくれる点にあります。
学校の教室を想像してみてください。
先生が一人で40人の生徒に「知識を与えよう」とすると、先生は疲弊し、生徒は受動的な「お客様」になってしまいます。
しかし、クラスを一つの「共同体」と捉え、LPPの環境をデザインしたらどうなるでしょうか。
最初は先生の手伝い(黒板を消す、プリントを配る)といった周辺的な参加から始まり、
徐々に「日直」としてクラスを仕切り、やがては「文化祭のリーダー」として中心的な役割を担っていく。
その過程で、新参者(下級生や初心者)は、古参者(上級生や経験者)の振る舞いを「見て盗み」ます。
古参者は、新参者に見られているという自覚から、より一層背筋が伸び、無意識のうちに「教えることで自らも学ぶ」ようになります。
大人が手取り足取り教えなくても、コミュニティそのものが「学びのシステム」として機能し始めるのです。
まとめ:あなたは、どんな「出番」を用意できますか?
私たち大人(添育者)の役割は、子どもに「答えを教えること」だけではありません。
子どもが安心して失敗できる「周辺」を用意すること。
そして、どんなに小さくても、それが誰かの役に立つ「正統な出番(役割)」を与えること。
「あなたがいてくれて助かったよ。あなたは私たちのコミュニティの大切な一員だよ」というメッセージを伝え続けること。
これこそが、子どもが社会という大きな海に漕ぎ出していくための、最も頑丈な船(居場所)をつくる作業なのです。
さて、個人の学びがコミュニティ全体へと波及していくイメージが湧いてきたでしょうか。
次回、Vol.22は「学習する組織(システム思考)」です。
LPPで個人の参加プロセスを見たら、次はその「組織全体」を俯瞰する視点を持ちます。
「なぜ、良かれと思ってやったのに組織(クラスや家族)全体としてはギクシャクしてしまうのか?」
「木を見て森を見ず」にならないための全体視点と、組織自体がまるで一つの生命体のように進化し続けるメカニズムについて解説します。
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