教員として、あるいは親として、私たちは常に「導かなければならない」という静かなプレッシャーの中で生きています。
目の前の子どもが立ち止まっていれば背中を押し、道に迷いそうになれば先回りして正解を教える。
それが「教育者」の責任であり、愛情だと信じて疑いませんでした。
しかし、第4回でお話ししたように、その「良かれと思って」の介入が、実は相手の自律を阻む「支配のトゲ」になっているとしたら、どうでしょうか。

「添育(そういく)」を実践する上で、最も困難で、かつ最も重要なステップ。
それは、具体的なスキルを学ぶ前に、自分自身の内側に長年かけて築き上げられた、
「教育的OS(オペレーティングシステム)」を「添育的OS」へと書き換える作業です。
今回は、この痛みを伴う、しかし劇的な変化をもたらすマインドセットの転換について、
その根拠となる理論的背景とともに言語化していきます。
「課題の分離」が、真の敬意を生む
添育のスタートラインは、自分と相手の間に明確な境界線を引くことです。
アドラー心理学では、これを「課題の分離」と呼びます。
「その行動の結果を最終的に引き受けるのは誰か?」という問いをもって、相手の課題に土足で踏み込まないという勇気をもつことです。
例えば、子どもが難しい段差に登ろうとして苦戦しているとき。
「危ないからやめなさい」と止めるのか、「こうすれば登れるよ」と教えるのか、それとも見守るのか。
もし、そこで転んで痛い思いをしたとしても、その経験を引き受けるのは子ども自身です。
(もちろん、大きな怪我の心配がある時などは、介入する必要もありますが…)
同時に、登り切るという達成感もまた、彼らのものです。
大人が「失敗させないように管理しなければ」「私が育ててあげよう」という
支配的な全能感を手放したとき、初めてそこに「対等な横の関係」が生まれます。
評価して操作する「縦の関係」ではなく、相手の困難に共感し、その力を信じて「勇気づけ(Encouragement)」を送る。
この関係性の変化こそが、相手の自律を促す土壌となります。
専門家の座を降りる「無知の姿勢」
「先生」や「親」という立場にいると、私たちは無意識のうちに「答えを知っている側」という高い教壇に登ってしまいがちです。
ここで重要なのが、ナラティブ・セラピー(物語療法)などが重視する「無知の姿勢(Not-knowing stance)」です。
これは「私は何も知らない無能な人間だ」と卑下することではありません。
「相手の人生や、今感じている経験の専門家は、私ではなく相手自身である」という、
圧倒的な事実に対する謙虚な姿勢を貫くことです。
「なぜ、あの子は今、この非効率なやり方にこだわっているのか?」
それを、自分の過去の経験則でジャッジせず、「私には分からない。だからこそ知りたい」という純粋な好奇心で見つめる。
自分の先入観を一旦脇に置く(現象学でいう『エポケー(判断保留)』)ことで、
初めて相手の内側にある「本当の願い」や「独自の物語」が見えてきます。
この謙虚な眼差しが、コーチングの現場で起きるような深い気づきを、日常の教室や家庭にもたらすのです。
自律を待つ「能動的な待機(アクティブ・ペイシェンス)」
添育において、最もエネルギーを必要とするのが「待つ」という行為です。
手を出せば一瞬で終わることを、ぐっとこらえて見守る。これは決して「放置」ではありません。
心理学の「自己決定理論(Self-Determination Theory)」が証明しているように、
人間には「自律性(自分で決めたい)」という根源的な欲求があります。
大人が良かれと思って先回りし、指示を出すことは、この「自律性」の芽を摘み取る行為に他なりません。
相手の脳内で、試行錯誤の末に「あ、そうか!」と自律のスイッチが入る。その神聖なタイミングを、じっと見守り、邪魔をしない。
この「能動的な待機(Active Patience)」は、相手が本来持っている成長のプログラムを100%信じ切るという、大人の側の強靭な精神性が求められます。
メンター制度において、経験豊かなメンターが安易に答えを教えず、長い目で相手の成長に伴走する姿勢も、この「信じて待つ」哲学がベースにあります。
「添育」という、善き関わりの集合体
こうしてマインドセットを紐解いていくと、「添育」は決して孤立した新しいアイデアではないことに気づきます。
- アドラー心理学が説く「横の関係」と勇気づけ
- ナラティブ・セラピーやコーチングにおける「無知の姿勢」
- 自己決定理論が導き出した「内発的動機」のメカニズム
- そして『学び合い』が証明した「集団の自浄作用」
これまで日本語では一言で表せなかった、あるいは「教育」という強い言葉の影に隠れてしまっていた、これらの先人たちの知恵と尊い関わりの集合体。
それが「添育」です。
専門的な技術を、特別な場所だけのものにせず、家庭や教室という日常に「OS」としてインストールし直すこと。
それが、私がこの旗印を掲げる理由です。
結びに:OSが変われば、景色は劇的に変わる
支配のトゲを抜き、自らのOSを「信頼」へと書き換えることは、教壇から降りることです。
それは一見、教育者としての権威やコントロールを手放す不安な行為に感じるかもしれません。
しかし、主役の座を本人に返したとき、そこに現れるのは、私たちがかつて見たこともないような、瑞々しい自律の姿です。
自分の内側にある「教えたい欲求」「コントロールしたい不安」をメタ認知し、一歩引いて添う。
その勇気が、相手を、そして「正解へ導かなければならない」と他人の人生を背負いすぎていた自分自身をも自由にしてくれます。
心のOSがアップデートされたところで、次回からはいよいよ具体的な「アプリケーション(スキル)」の実装に入りましょう。
まずは、添育者の最もクリエイティブな仕事。
第8回は『スキル①:整える』
指示を出さずに、子どもが勝手に動き出す「環境デザイン」の秘密。
行動経済学の「ナッジ(軽く後押しする)」やアフォーダンス理論をヒントに、
言葉を使わずに相手のやる気に火をつける、クリエイティブな「裏方」の仕事について解き明かしていきます。




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