【第5回】添育(そういく)の定義:主役の座を本人(学習者)に返し、伴走者として生きる

添育(そういく/Soiku)

第4回では、私が「教育」という言葉の裏側に感じていた、

ある種の「支配」や「過干渉」という名の「トゲ」についてお話ししました。

【第4回】なぜ「教育」という言葉に、少しトゲを感じるようになったのか
私は「教員」という職業を心から誇りに思っています。「教育(Education)」が、これまで人類の知恵を繋ぎ、未開の地を切り拓き、無数の人々の人生を豊かにしてきた。その偉大な功績に疑いの余地はありません。しかし、公立小学校という現場で、文字...

 

「良かれと思って」手を貸すことが、実は子どもの自律を奪っているのではないか。

その葛藤の果てにたどり着いたのが、今回お話しする「添育(そういく)」という概念です。

 

既存の「教育」を否定するのではなく、その隣にそっと書き添える。

私が人生かけて広めていきたいと願う、この新しい旗印の「定義」を記します。

 


 

「添育」という言葉。

 

私はこの響きに、これからの時代を生き抜くための、最も優しく、かつ最も強靭な

「関わりの哲学」を込めました。

 

教員としてのキャリアと、親としての生活が重なり合う中で、私はある確信に至りました。

 

それは「育つ」という行為の主体は、どこまでいっても本人(学習者)にあるということです。

 

では、周りの大人は何もしなくていいのか?

 

いえ、そうではありません。

むしろ「教える」よりもずっと高度で、クリエイティブな役割が私たちに求められています。

 

「添育」という言葉の解剖

 

まず、この言葉を二つの漢字から紐解いてみましょう。

 

  • 「添(そ)う」:

主役の横に並ぶこと。決して前に出すぎず、かといって離れすぎない絶妙な距離感。

相手が向かいたい方向へ進むとき、その歩調に合わせて寄り添うこと。

 

  • 「育(いく)」:

いのちが本来持っているプログラムに従って、自ら養われ、成長すること。

外から無理やり「育てる」のではなく、内側から「育つ」という自動詞的な響き。

 

つまり、添育とは、

「本人が自律的に育っていくプロセスに、大人がそっと寄り添い、付け加わること」を指します。

 

添育の定義(ステートメント)

 

・添育(そういく)とは:

学習者が本来持っている「自ら育とうとする力」を最大限にリスペクトし、

その発露を妨げない環境を整え、共に歩む「伴走型」の関わり方のこと。

 

「教育」と「添育」の違い

 

定義をより鮮明にするために、従来の「教育」と「添育」の違いを表にまとめてみました。

(生成AIすごすぎる✨)

 

従来の教育が「正解への最短ルートを走らせるための導き」であるならば、

添育は「本人が自分の足で、自分の人生を歩き出すための伴走」です。

 

どちらが良い・悪いという話ではありません。

 

しかし、正解のない不確実な時代を生きる私たちにとって、今圧倒的に足りていないのは、

この「横の関わり(添育)」ではないでしょうか。

 

添育を支える「3つの合言葉」

 

添育の定義を具体的に実践に落とし込むためのフレームワーク、

それが「整える・観る・待つ」です。

 

  1. 整える: 指示を出す代わりに、本人が動きたくなる「環境」をデザインする。
  2. 観る: ジャッジを捨てて、本人の内側で起きている「変化」を観察する。
  3. 待つ: 相手の「自分で成し遂げる権利」を奪わないよう、信じて沈黙する。

 

この3つのサイクルを回し続けることが、添育の実践です。

 

この概念が向かう先

 

添育は、単に「子どもをどう育てるか」という手法にとどまりません。

 

それは、

目の前の一人の子どもに対して「スポットライト」を当てるような深い寄り添いでもあれば、

教室や職場という集団・組織全体を「太陽」のように温め、自律を促す組織論でもあります。

 

この「添育」という概念は、子育て、学校教育、そしてビジネスにおけるマネジメント、

自分自身の「人生の再構築」にまで応用できる可能性を秘めていると考えます。

 

結びに:主役の座を、本人(学習者)に返す

 

添育は、教育のメインストーリーを否定するものではありません。

 

しかし、大人が主導する「縦の教育」の横に、本人が主役である「横の添育」という余白を書き添えたい。

 

「あなたは、そのままで育つ力を持っている」

「私は、それを誰よりも信じて横にいる」

 

そんな確信こそが、人の「自律」のスイッチを入れることができると、私は信じています。

 

さて、今回は私が考える添育の「定義」をお伝えしましたが、次回はさらにこの概念を広げて考えてみたいと思います。

 

添育には、二つの大きな景色があります。

 

「一対一の『対個人の添育』」と、「一対多の『対集団・組織の添育』」

 

この二つにおいて、私たちの役割はどう変わるのか。

あるいはどう共通しているのか。

 

私が『学び合い』から得た確信と、育休中の気づきを融合させた、

「対個人」や「対集団・組織」への新しい関わり方や自分自身のあり方について、お話しします。

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