どうも、ふたばです!
今回は「可愛がられる」ということについてです。
わたくしは、両親がある程度年齢がいってからの子です。
そしてまた、両親ともに兄弟姉妹が多い中の末っ子同士ということもあり、
双方の祖父母とも、小さい頃にみんな亡くなってしまいました。
おじいちゃんおばあちゃんと同居していたり、近くに住んでいたり、
夏休みなどに遊びに行っては、何かを買ってもらったとか、どこかへ連れて行ってもらったとか、
そういう話を聞くのは幼ながらに結構苦痛だったのを覚えています。
そして、おじいちゃんおばあちゃんが距離的にも心理的にも近い人にとっては、
それはそれでまたいろいろとあるのだとは思いますが、
それでも、失礼なことを言っているのを聞いたりすると、
それってどうなん?と思っていました。
また頼れる父母がいない分、わたくしの父母も必死だったのだと思います。
仕事が上手くいかないことがあったり、病気で入院・手術をしたりと大変な中、
夫婦共働きで家計を支えてくれていました。
そんなわけで、わたくしは小さい頃から鍵っ子。
しかし、
しょっちゅう鍵を持っていくのを忘れ、家に入れないことが多々ありました。
そんな時にどうするか?
大体仕事から帰ってくる時間は分かっていたので、
少しの時間であれば玄関の外で待ちましたが、
遅くまで待たねばならない時や、冬で外が寒い時などには、近所の家で待たせてもらいました。
わたくしにとっては危機的な状況なわけですから、
ためらいなく近所の家のチャイムを鳴らすことができます笑
しょっちゅう鍵を忘れて玄関の外で待っている所を見ているのでしょうから、
快く?情けをかけて?迎え入れてもらえます笑
こちらも助けていただいている身分ですので、
ものすごく良い子で過ごします笑
自分が知らないだけで、きっと大人の間では話が通っていたのでしょう。
時々お礼をしに行ったりしていたようです。
ただ「良い子」で過ごしているので、助けられたのはこちらでありながら、
自然と株が上がっていたりしました。
学校帰りや公園で遊んでいる時も、似たようなことがありました。
あの頃は、学校ではトイレに行けなかったので
(何を言われるか、どう思われるか分からないので)、
帰り途中にピンチになることが多々ありました。
そんな時に、トイレを貸してもらえる候補をいくつも用意していました。
というより、飛び込みで貸してもらうたびに増えていきました笑
そんな時にも非常に礼儀正しく振舞うので笑
お茶やお菓子をいただいてしまうわけです😊
なんならその後は「休憩スポット」とか言って、
時々立ち寄らせていただくわけです笑
今のように窮屈な時代では無かったので、
その程度では別に学校に連絡されることもありません。
そもそも学校に連絡がいってしまわないよう、非常に礼儀正しく振舞いますし、
あまり負担をかけ過ぎないよう、謎の配慮や加減はしていました笑
公園などで遊んでいる時もそうです。
マンガのようですが、近くの家の庭にボールが入ってしまうことがよくありました。
ここでよくある展開だと、勝手に庭に忍び込んで怒られるわけですが、
わたくしはそんなことはしません。
堂々とチャイムを鳴らし、まずは謝罪をし、事情を説明し、ボールを取りに行きます。
ここでも模範解答100点満点です✨
公園などの近くに家があり、庭に入ったボールを取ろうと勝手に忍び込まれる、
というのがお決まりのパターンの中、
この少年は堂々とくるわけです。
ここで差別化が図られますし、
こんな模範的な少年を怒鳴りつけるのも、気が引けるでしょう。
結局お茶やお菓子を貰ってしまいます笑
そんなこんなで、
困ったときに頼れる駆け込み寺が、近所にどんどんと増えていきました。
頼れる身寄りがなかなかいない、
困ったときには自分で考え何とかするしかない、
こうした状況の中で「生きる力」
特に「可愛がられ力」が高まっていったのだと思います。
大学生になると、先輩にたくさん奢ってもらいました。
先輩たちもそうして先輩の先輩に奢ってもらっていたわけです。
しかし自分の学年が上がると、今後は奢ってあげねばならない後輩が増えます。
別に嫌なわけではありませんが、現実的に財政難になります。
そんな時は、先輩である院生さんを頼ります笑
流石に80、90と、人生の終盤ともなれば、
頼れる先輩はほとんどいないかもしれません。
しかし今はまだ、
後輩が増えてきているとはいえ、まだまだ先輩方もたくさんいらっしゃいます。
昨今、人との関わりが希薄になり、
いつも同じような人としか関わらない人が増えています。
特に何も問題が無ければいいのでしょうが、
今後何が起こるかは分かりません。
限定的な関わりしかないと、
ピンチの時にお互いに支え合える余力が無いかもしれません。
しかし、
後輩、同年代、先輩、と
世代を超えた多様な人との関わりをもっていると、
自分はピンチでも、ある人には余力があり、生き延びることができるかもしれません。
人間関係が希薄化している中でも、
きっとかつてのような人と人とのつながりを求めている人もいるでしょう。
先が見えない時代を生きる中で、
世代を超えた多様な人との関わり、
そして「可愛がられ力」の価値が高まっているように感じます。
というわけで、
今回もお付き合いいただきありがとうございました!
次回もまた、よろしくお願いいたしますー🎵
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