令和7年元旦🌅 パパになった話【育児パパ記録】

育児パパ記録

 

どうも、ふたばです!

 

この年末年始は、

人生で最も大晦日らしくない大晦日であり、元日らしくない元日を過ごしました。

 

ことの経緯をお伝えしますと、

もともと今年、令和7年の2月上旬に、赤ちゃんが生まれる予定でした。

その後4月からは、わたくしも育休をいただく予定だったので、子の成長や育児の記録をまとめようと思ったことが、実はこのブログを始めたきっかけの一つでもありました。

 

そんなわけで、昨年末は、

自宅の家具の配置を変えたり、徹底的に掃除をしたり、

また出産後は、妻は実家に里帰りさせてもらう予定だったので、妻の部屋の片づけをしたり、

不用品をリサイクルショップに売りに行ったり、粗大ごみをクリーンセンターに持ち込んだりと、

出産・育児に向けた準備をしていました。

 

年末年始に必要な買い物も済ませ、ホッと一息。

 

大晦日になりましたが、前日までにいろいろと済ませていたので特にやることが無く、

家だとダラダラしてしまうからカフェにでも行って、名前や出産に向けてのあれこれを相談しようかと支度をしていると、、、

 

トイレから

「え…」

「どうしよう…」

という妻の声。

 

「破水…?」

 

妊娠9カ月となり、一気にお腹も大きくなってきたので、

この頃は尿漏れも起こりやすいのだそうです。

 

量も少量だったので、少し様子を見てみることにしました。

 

しかし5分おき程度の感覚で、やはり少し滲み出てきます。

 

産婦人科に連絡すると、とりあえず病院に来てくださいとのこと。

 

検査をすれば尿か羊水かはわかるので、病院に向かいながらも、

「どうせ尿漏れというオチだろう…」

「大晦日にまったく人騒がせな…」

と二人で笑い話をしながら病院に向かいました。

 

着いて診察台に乗った瞬間、

 

まとまって一気に出たそうで、

 

「破水」が確定いたしました笑

 

 

まだ34週と5日ということもあり、このまま生まれれば確実に早産で低体重。

かかりつけの産婦人科では、出産できたとしても小児科が無いので、

母子が別々の病院に入院となってしまいます。

 

そんなわけで、

小児科のある総合病院へ、緊急搬送となり、

即入院となりました。

 

カフェにでも行こうとしていたところから、まさかの急展開でした。

 

まぁ、わたくし以上にそう思ったのは妻でしょうが😊

 

 

妻の入院手続きを済ませ、一度家に帰り、

出産に向けて用意していた入院セット諸々をまとめて再度病院へ。

 

破水したものの、その他の異常は全くなく、幸い母子ともに健康✨

とりあえずひと段落して病院を出ましたが、その時にはもう外が真っ暗になっていました。

 

 

破水するということは、つまりは赤ちゃんを包んでいた膜が破れ、

赤ちゃんの世界と外の世界との境が無くなってしまうということ。

 

そうなると心配なのが感染症です。

 

まだ出産には早かったので、抗生剤の点滴を打ちながら、

もう少しお腹の中で過ごして、自然に生まれてくることを待ちます。

 

しかし感染症が疑わしくなれば、即帝王切開での出産です。

 

破水すると、その日の夜中に陣痛が始まるということもよくあるそうなので、

先が読めず、なかなか寝られずにいました。

 

そして、もうすぐ令和6年が終わるという23時頃、

妻から陣痛が始まったとの連絡が来ました。

 

「このパターンか!」

 

幸いまだ妻とも連絡が取れたので、状況の確認をしながら、

このままカウントダウンとなり、元旦に出産を迎えるのであろうと、

長い戦いとなることを覚悟しました。

 

陣痛の間隔的に、翌朝6:30頃に病院に来てもらえればよい、と助産師さんから連絡がありました。

その時4:00。

5:30まで1.5時間ほど睡眠を取れたのが助かりました。 妻、すまん

 

コンビニで水や朝ご飯のおにぎりを買い、いざ病院へ。

日が昇り始め、辺りが少しずつ明るくなり始めていました。

 

気づけば令和7年、初日の出でしたが、そんな余裕はありませんでした。

というのも、妻と連絡が取れなくなっていたからです。

痛みが強くなり、スマホを見ることすらできなくなっていたのでしょう。

 

病院に着いたのが6:45頃。ちょうど陣痛のピーク近くになっていました。

着いて30分もしないうちに診察となり、わたくしは一度待合室に出ました。

 

そして呼ばれた時には、もう分娩室に移るということで、

え、もう産まれるの?と驚きながら、できるサポートをしました。

 

分娩台に上って10分で子宮口が最大に開き、

そこからなんと、5分で産まれました笑

 

「やっと頭が見えてきたよ」

「もう少しだよ」

みたいな感じで、もっと時間が掛かるものと思っていましたが、

小さかったからなのか安産であったのか、頭っぽいものが見えたなと思った瞬間、

スルっと産まれ、

見事に撮り逃しました📸

 

産まれた瞬間は静かでしたが、30秒するかしないかのうちに自然と産声が上がり、

あぁ良かったと一安心✨

 

令和7年1月1日 7:58 生

2031g

43.5cm

34週と6日と早産で低体重ではありましたが、元気な男の子でした👦

 

 

赤ちゃんはそのまま小児科の病棟へ。

 

わたくしはまた待合室に出ました。

 

赤ちゃんの検査が終わってその説明があるのも、

妻の産後のあれこれを済ませて病室に戻るのも、

どちらも約2時間後ということでした。

 

一度病院の外に出て、赤ちゃんが生まれた日の空の写真を撮ったり、

朝ご飯のおにぎりを食べたりして待ちました。

 

1時間ほど経つと、寝ていた妻が目を覚ましました。

お腹が空いたということで、持ってきたおにぎりを渡し、

食べながらこれまでの経緯について話しながら確認しました。

 

大晦日お昼頃の突然の破水から緊急搬送、そして入院、

そのまま陣痛が来て、翌朝に出産という予想外の怒涛の流れ。

しかも病院で年越しカウントダウン、元旦に産まれるなんて誰が予想していたか。

まさか産むことになるなんて、妻の方が衝撃だったことでしょう。

 

 

そんなこんなで、赤ちゃんの様子や入院に関しての説明を受け、

今後は赤ちゃんの入院の手続きを済ませ、病院を出たのが11:00頃。

 

早産となってしまい低体重であること以外には何も問題はなく、

母子ともに健康そのもの!

それが何よりでした✨

 

家に帰っても特にやることは無いので、

そのまま双方の実家へ年始の挨拶と、ことの経緯を伝えに行きました。

 

午後には親族の集まりもあったので、そちらにも顔を出しました。

本来ならまだお腹の大きくなった妻も参加しているはずで、

「赤ちゃん楽しみだね」

「これから頑張ってね」

なんて話をしたのだろうと思いますが、

 

まさかの不在。

そしてサプライズでことの経緯を報告。

 

沸きました😊笑

 

 

最後に妻の母と、妻の面会に行き、

そしてまたこの一連の流れを話しました。

 

もう何度同じ話をしたことでしょう。

最初から最後まで、全て時系列通りに話ができます笑

 

しかしこの新鮮さも、だんだんと薄れていってしまうもの。

忘れぬうちにこうして文字として残しておき、いつかまた振り返れるといいなぁと思います。

 

全てが済んだ元日の夜は、

わたくしも記憶がないくらい、気絶したように寝ました💤

 

 

これが令和6年大晦日から令和7年元日の、

2日間の長い長い戦いの一部始終でございました!

 

 

全国一之宮巡拝の旅、軽井沢カフェ巡りと併せて、

今後は「育児パパ記録」も更新していきたいと思います!

 

 

というわけで、

今回もお付き合いいただきありがとうございました!

次回もまた、よろしくお願いいたしますー🎵

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