【第9回】『スキル②:観る』 評価の色眼鏡を外し、成長の「兆し」を捉える観察術

添育(そういく/Soiku)

環境が整い、子どもが自ら一歩を踏み出した。

その時、私たち大人は何をしているでしょうか?

 

「ちゃんとできているかな?」「間違っていないかな?」と、

腕組みをして監視しているとしたら、それはまだ「教育(管理)」の視点です。

 

添育(そういく)の二つ目の合言葉【観る】

 

それは、評価やジャッジといった「色眼鏡」を意識的に外し、目の前の相手のありのままの姿と、

そこに現れる微かな「成長の兆し」を捉えようとする、深く能動的な関わりです。

 

今回は、哲学や心理学の知見を借りながら、相手の可能性を信じ抜くための「観察の技術」について紐解いていきます。

 

私たちは「事実」ではなく「解釈」を見ている

 

私たちは普段、目の前の現象をありのままに見ているようでいて、実は瞬時に脳内で「解釈」を加えています。

 

  • 子どもが窓の外を見ている → 「集中していない」(解釈)
  • 何度も同じ失敗をする → 「やる気がない」(解釈)

 

この「解釈」の多くは、大人の過去の経験や「こうあるべき」という規範に基づいた「評価」です。

 

しかし、窓の外を見ていたのは、思考を整理するためだったかもしれない。

失敗を繰り返すのは、納得いくまで試行錯誤したいからかもしれない。

 

哲学者のフッサールは、この独自の思い込みや判断を一旦停止し、カッコに入れることを、

「エポケー(判断停止/判断保留)」と呼びました。

 

添育における【観る】とは、まずこのエポケーを実践することです。

 

「集中していない」と決めつける前に、「今、5分間窓の外を見つめていた」という「事実」だけを静かに受け止める。

 

この知的謙虚さが、相手理解のスタートラインになります。

 

「欠点」ではなく「強み・兆し」に焦点を当てるレンズ

 

従来の教育は、しばしば「できていないこと(欠点)」を見つけて修正しようとする

「医療モデル」のアプローチを取りがちでした。

 

しかし、添育では視点を反転させます。

 

ポジティブ心理学が提唱するように、相手の「強み」やこれから伸びようとしている

「成長の兆し」に焦点を当てるのです。

 

ストレングス・視点への転換

 

  • ×「まだ〇〇ができていない」
    • → 〇「以前より△△ができるようになっている」

 

  • ×「落ち着きがない子だ」
    • → 〇「好奇心が旺盛で、色々なものに興味を持つエネルギーがある子だ」

 

これは単なる「ポジティブシンキング」ではありません。

欠点も含めたその子のユニークさを丸ごと受け入れた上で、本人がまだ気づいていないかもしれない「可能性の芽」を、大人が先に見つけて光を当てる技術です。

 

現場で使える観察スキル:「事実」と「解釈」を分ける

 

では、具体的にどうすれば「評価の色眼鏡」を外せるのでしょうか。

私が現場で実践している、シンプルなトレーニング方法を紹介します。

 

それは、心の中で「実況中継」をすることです。

 

アナウンサーになったつもりで、目の前の状況を客観的な言葉だけで描写してみるのです。

 

【例:教室で課題に取り組まない生徒を見て】

 

  • これまでの見方(解釈・評価):
    • 「Aさんは、やる気がなさそうにダラダラしている。反抗期かな。」
  • 添育的な見方(事実の実況中継):
    • 「Aさんは、教科書を閉じたまま、5分間、天井を見上げている。時折、ため息をつき、シャーペンを回している。」

 

こうして事実だけを言語化してみると、「やる気がない」というのは私の勝手な解釈だったと気づきます。

 

「もしかしたら、何か深い悩みを抱えているのかもしれない」

「課題の難易度が合っていないのかもしれない」と、多様な可能性(仮説)が見えてくるのです。

 

家庭でも同じです。

 

わが子がティッシュを箱から全部引き出している。

「いたずらだ!」と怒る前に、

「白いふわふわしたものが次々に出てくる現象に、夢中になっている」と事実を見てみる。

 

すると、その行動がいたずらではなく、一種の「探究活動」に見えてくるから不思議です。

 

正しく観てもらえる安心感が、人を育てる

 

なぜ、ここまで「観る」ことにこだわるのでしょうか。

 

それは、人間にとって「ありのままの自分を、評価せずに見つめてもらえる」という経験が、

何よりも深い安心感(心理的安全性)を生むからです。

 

「先生は、親は、僕の良いところも悪いところも全部ひっくるめて見てくれている」

 

その信頼感があるからこそ、子どもは安心して失敗でき、次の挑戦へと踏み出せるのです。

ナラティブ・セラピーでいう「証人(ウィットネス)」としての役割を、大人が果たすのです。

 

結びに:観察は、最も静かで熱い「愛」の行為

 

評価を捨て、解釈を保留し、ただ相手の存在そのものを見つめ続ける。

 

これは、口で言うほど簡単なことではありません。忍耐と訓練が必要です。

しかし、これほど相手を尊重し、その可能性を信じるというメッセージを伝える行為も、

他にないでしょう。

 

「観る」ことは、受動的な行為ではありません。

 

相手を理解しようとする、最も能動的で静かな愛の行為なのです。

 

さて、環境を整え、温かい眼差しで見守った。

 

それでも相手が動かないとき、失敗して立ち尽くしているとき。

私たちにできる最後の、そして最も難易度の高い関わりとは何でしょうか?

 

次回、第10回:【スキル③:待つ】信じて沈黙する「アクティブ・ペイシェンス」。

 

手を出したい、口を出したいという最大の誘惑に打ち勝ち、

相手の脳内で自律のスイッチが入る神聖な瞬間を守り抜く、

「待つ」という技術の深淵へご案内します。

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