「早く準備しなさい」
「いつまでゲームしてるの」
「もっと自分から勉強してほしい」
家庭でも学校でも、私たちの口からつい出てしまう、こうした「指示・命令」の言葉。
しかし、第7回でお話ししたように、私たちはもう「支配のトゲ」を抜き、「伴走者」としてのOSを立ち上げました。

では、指示出しをやめた大人は、一体何をすればいいのでしょうか?
ただ手をこまねいて見ているだけ?
いいえ、違います。
添育(そういく)の最初の合言葉【整える】
それは、言葉で相手を動かす代わりに、思わず体が動いてしまうような「舞台装置」を設計するという、非常にクリエイティブな仕事です。
今回は、行動経済学や心理学の知見を借りながら、指示ゼロで子どもが動き出す「環境デザイン」の秘密に迫ります。
意志の力に頼らない「ナッジ」という後押し
「やる気を出して!」と精神論で迫っても、人はなかなか動きません。
ここで取り入れたいのが、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーらが提唱する
「ナッジ(Nudge)」という理論です。
ナッジとは「肘で軽くつつく」という意味。
強制や命令ではなく、選択の自由を残したまま、相手が自然に望ましい行動をとるよう
「そっと後押しする」仕掛けのことです。
有名な例があります。
男子トイレの小便器に、小さな「ハエのマーク」のシールを貼る。
すると、利用者は無意識にその的を狙ってしまい、結果として床の汚れが劇的に減りました。
「綺麗に使いなさい」という貼り紙(指示)よりも、たった一枚のシール(環境)が人の行動を変えたのです。
添育的なナッジの実践
これを子育てに応用してみましょう。
「片付けなさい!」と怒鳴る前に、おもちゃ箱に「ミニカーの写真」を貼ってみる。
すると、子どもの脳内で「どこに戻せばいいか迷う」という負荷が減り、ゲーム感覚で片付けが始まります。
これは「チョイス・アーキテクチャ(選択肢の設計)」と呼ばれます。大人の仕事は、声を荒らげることではなく、望ましい行動へのハードルを環境側で下げておくことなのです。
環境に語らせる「アフォーダンス」の視点
なぜ私たちは、ドアに「取っ手」が付いていれば引き、「平らな台」があればつい物を置いてしまうのでしょうか。
生態心理学者のJ.J.ギブソンは、環境や物が持つ「その行為を誘発する性質」を
「アフォーダンス(affordance)」と名付けました。
物は、言葉を使わずに私たちに語りかけているのです。
モンテッソーリ教育が「準備された環境」を徹底的に重視するのも、この理屈です。
子どもの手のひらサイズに合った道具、美しい教具が整然と並んだ棚。
それらは全て、「私を触ってごらん」「使ってみてごらん」と子どもたちを誘惑します。
大人が「教えるプロ」から「環境デザインのプロ」へと進化するとき、
子どもの中にある探究心のスイッチは、誰が押すまでもなく勝手に入り始めるのです。
『学び合い』の課題提示は、究極の環境デザイン
この【整える】技術は、集団指導においても絶大な威力を発揮します。
その最高峰が、『学び合い』における「課題の提示」です。
従来の授業では「教科書の20ページを開いて、問1を解きなさい」というように、
教師が細かく指示を出します。これは「管理」です。
一方『学び合い』では、
「チャイムが鳴るまでに、クラス全員がこの問題を説明できるようになってください。
誰と相談しても、何を使ってもいいです」
この一言は、単なる指示ではありません。
「全員達成」という明確なゴールと、「協力してよい」という心理的安全性をセットにした、
高度な環境設定なのです。
この環境(舞台)が整った瞬間、子どもたちは教師の指示を待つことをやめ、
「どうすれば全員が分かるか?」を自分たちで考え、動き始めます。
「課題そのもの」が、子どもたちをアフォードし、ナッジしているのです。
最高の「裏方」に徹する技術
添育者が【整える】フェーズで行うのは、いわば「摩擦(フリクション)」のコントロールです。
- 良い行動の摩擦を減らす:
- 宿題に取り掛かりやすいよう、鉛筆は削り、ノートは開いて机に置いておく。
- 誰もが助け合えるよう、教室の座席を固定せず流動的にする。
- 悪い行動の摩擦を増やす:
- 勉強の邪魔になるスマホは、「意志の力」で我慢させるのではなく、あえて別の部屋の「取り出しにくい箱」に入れる。
添育者は、ステージの主役ではありません。
主役である学習者が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、照明を当て、動線を確保し、小道具を揃える。
そんな「最高の裏方(照明・音響・大道具係)」としてのクリエイティビティが求められます。
結びに:指示を一つ減らし、工夫を一つ増やす
「環境を整える」ことは、相手をコントロールすることではありません。
むしろ、相手が自分の意志で動くための「自由なスペース」を確保することです。
明日から、子どもに何か指示を出したくなった瞬間に、一度グッとこらえて、周囲を見渡してみてください。
「この子が思わず動きたくなるような、どんな『仕掛け』ができるだろうか?」と。
さて、環境が整い、子どもが自ら一歩を踏み出しました。
その次に、私たち添育者がすべきことは何でしょうか?
それは、評価の眼差しを捨てて、その姿をじっと見つめることです。
次回、第9回:【スキル②:観る】評価を捨てて「成長の兆し」を捉える観察術。
ポジティブ心理学や現象学の知見をヒントに、相手をジャッジせずに「ありのまま」を捉える、
深い観察の世界へご案内します。




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